コーチ プロフィール

 

・苫米地式コーチング 認定コーチ 4期生

 

「TPIE®」 マスターファシリテーター

 

「TPIE®」 プロジェクトディレクター

 

「PX2」 マスターファシリテーター

 

ママにこにこコーチング 主宰

 

 

 

  

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《 活動実績 》

 

2009年

米国能力開発の権威であり、コーチングの大家 ルー・タイスのセルフコーチングプログラム 「TPIE」においてルー・タイス本人より直接指導を受け、 マインドコーチングの真髄に触れる。

 

2010年

既存の概念を覆すルー・タイスの理論の理解を 深めるとともに、これを広める側に回りたいとの思いから、 「TPIE」ファシリテーターの認定を受ける。 同じくルー・タイスの青少年向けプログラム 「PX2」のファシリテーター認定も受ける。

 

2011年

「TPIE」を独自に開催できる「TPIE」プロジェクトディレクターの 認定を得て、10月より「TPIE」の開催を定期的に始める。

 

「PX2」ファシリテーターとして、 日本初の学校導入のファシリテーターを単独で担当。

 

2012年

「苫米地式コーチング」認定コーチ第4期生として 苫米地英人博士から直接コーチングを伝授され、 パーソナルコーチとして活動開始。

「PX2」ファシリテーターとして、 専門学校向けに、150人という大規模開催でも ファシリテーターを担当。

 

2013年

「子育て」が変われば、世界が変わるとの 信念から、おかあさん向けのコーチング講座 「ママにこにこコーチング」を開発。 セミナーやブログで、世界を変える子育てに ついての情報を発信。

 

2014年

企業や、団体等からの依頼による「コーチング」に 関係したセミナーを提供。 福島県保険医協会様からの依頼により 独自に「ゴール設定」等のセミナーを開催し、 好評を得る。

 

2015年

コーチングに関する一大イベント 「コーチングサミット2015」にて、 「TPIE」の重要性をPRするための プレゼンターを担当。

 

現在

「TPIE」の開催実績、またその評価はダントツのNo1を誇る。 ルー・タイスシステムに認知科学の知見を加えた 最新プログラムとしての「TPIE」が日本から実施された事を鑑みると 世界でもNo1と言える実績を現在も継続中。

日本にはわずか二人しかいない「TPIE」の マスターファシリテーターとして、 ファシリテーターの育成を担当。 実践で培った知識と経験を生かした トレーニング内容は高い評価を得ている。

 

「PX2」のマスターファシリテーターとして、 ファシリテーターの育成を担当。 苫米地英人博士の勅命を受け、 ボランティアとして「PX2」を広めたいという 高い志を持った方々に、ファシリテーターとしての マインドと技術を伝授。

コーチングに「縁起の書き換え」という概念を導入 認知科学を超えた「超情報場マインドコーチング」 として、「サイバー・ホメオスタシス・コーチング」を提供。 クライアント様にパラレルワールドに迷い込んだとも思える 変革を起こしている。

ファシリテーションの技術を生かした 独自のセミナー方式により、 「The 夜学シリーズ」を月一度開催。 他のコーチング関係のセミナーとは一線を 画する内容と進行で圧倒的なファンを獲得。

 

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《主なセミナー・講演テーマ》

「マインドコーチング実践講座」

「無意識の操り人形から脱出する方法」

「ほんとうのゴール設定とは?」

「言葉があなたの人生を決める」

「無意識を変えるハイブリッドビジュアライゼーション」

「超絶エフィカシー構築術」

「入門ファシリテーションで学ぶ微分・積分」

「幸福論的子育て講座」

「ほんとうの少子化対策とは?」

「いい子に育ててはいけない?!」

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《バイオグラフィー》

 

7月28日生まれ A型

生まれたのは、山梨県南巨摩郡増穂町という小さな町。 しかし現在、市町村合併にて存在しない町名に…

そんな山の斜面にある小さな町の 「町の電器屋さん」の長男として人生が始まりました。

 

ところが!

 

人生山あり谷ありですよね。 ある時、「町の電器屋さん」の未来が立ち行かなくなります。

 

その「町の電器屋さん」ができた当時は、 「三種の神器」という言葉に代表されるように 家電製品というのは、ある種の憧れの存在でした。

なにを言いたいかと言いますと、 テレビが一番売れた時代に電気屋さんをやっていたわけです。

 

だからと言って、左団扇だったわけではありません。 競合店もあるわけで、それこそまったく休みもなく 夜遅くまで営業に走り回っていたようです。

 

当初は家に風呂もなく、仕事が終わってから (夜8時とか9時です) 生まれたばかりのわたくしと母を連れて 実家に風呂を借りに行くという生活でした。 それでもそういった親父の頑張りもあり、 従業員も雇ったりできるようになり、 それなりに「町の電器屋さん」として 成立していきました。

 

お風呂も家に新しくできました。(笑)

 

もちろん「大金持ち」ってわけではありませんが、 それなりの生活環境でした。 そんな中、子供のためを思ってということでしょう 習い事にもいろいろと通う事になるのです。

 

筆頭は「ヴァイオリン」です。

 

テレビの中でよくみる、 犬が遊びまわる芝生の庭のある大きな家に住む お嬢様じゃありませんでしたから(笑)、 微妙な違和感も感じつつレッスンに通いました。 そのほかにも、 「習字」 「剣道」 等に通い、 「ボーイスカウト」の年少向け 「カブスカウト」 の活動もしていました。 いや、通わされていました。

 

おかげで、それらすべてのものに対して 一度も「楽しい」と思った事はなかったのです。 この体験が、「コーチング」というものに触れた時、 非常に大きな気づきをわたくしに与えてくれる事になるわけです。

 

親父自体、あまり家庭環境に恵まれず子供の頃から だいぶ苦労したようでした。 その分、事業の成功ともいえる状況と 小金が入ってくるという状況には、 お定まりの罠がそこに潜んでいました。 一時は、他の町に支店をだすまでになった 「町の電気屋さん」の経営にも暗雲が立ち込める事 になるのです。 それは、わたくしが高校生の時でした。

 

わたくしに対して、ある選択を迫られた時には 最終的な判断を下さなければならないような状況でした。

 

選択肢は二つ。

 

千万単位の借金を背負ったまま、 その事業の後を継ぎ、親父といっしょに 再建を目指すという道がひとつ。

 

もうひとつは、この状況を聞いた東京に住む 叔母夫婦のもとに身を寄せ、叔母夫婦の営む 飲食店に携わる事を前提に東京に母、弟と わたくしの三人で移り住み、全く新しい 生活を送ること。

 

わたくしが選んだのは後者の方でした。

 

しかしそれは、これまでの生活をすべて捨てて、 小中高と一緒だった親友たちと別れる事を意味していました。 今まで別の世界だと思っていた東京に、 母と弟で移り住み、生活のためにアルバイトを 掛け持ちするような生活が待っていました。

 

生まれ育った町では、常に雄大な富士が山々の間に その姿を見せていました。 山自体が遥か彼方に見える東京の景色は、 それだけでもちょっと悲しくなる思いをしたものでした。 そんな中、気を紛らわせてくれるのは 中学の時から始めたロックギターと、 電器屋の息子らしくテレビ、そしてマンガでした。

 

しかし、東京に出てきてから1年もしないうちに、 故郷に残してきた親父は、心労も祟ったのでしょう、 49歳という若さで突然この世を去ったのです。 東京に出てくる時もそうでしたが、 親父が死んだ時も、大人達の事情による あまり関わりたくないような事柄にも巻き込まれました。

 

残された借金、事業。 父方の親戚の言い分と、母方の親戚の言い分の違い。 そこに挟まれる自分。 まるでドラマの様な出来事でした。 そういった事にひと段落したとはいえ、 親父がいなくなった事は事実です。 残された母と弟と自分… なんとか生きていくのが精一杯の状況に変わりはありません。

 

東京に出てくる時から叔母夫婦の飲食店を営むことを 視野に入れていた為、最初に就職したのはやはり飲食店でした。 それなりに名前の通ったレストランでしたが、 内情は今でいういわゆる「ブラック」な職場でした。

 

入社当時の基本給は、相場の1/2程の金額でした。 サンシャインシティにお店があった為に、 休日ともなれば、休憩もなく12時間ひっきりなしに 店内を走り回る様な事も日常でした。 喫茶ものの担当ともなれば、一日1000人以上の お客さんが使ったすべてのグラスを手洗いし、 飲み物やデザートの注文をすべてこなすという状況でした。

 

昨日まで働いていた仲間が、 翌日には逃亡、行方不明になるという事が たびたび起こる様な職場だったのです。 (すぐに戻ってきたりね(笑))

 

数年後、新宿に新しいお店が出来るという事で、 オープニングスタッフとして手伝いに行きました。 ちょうど「POSシステム」という 今のレジの先駆けの様なものが出はじめた頃でした。 新しいお店という事で、新しいシステムが入ったのです。 今は無くなってしまったフロッピーディスクを 使ったシステムでした。

 

つまり、レジスターがコンピューターになった 初期の頃のものだったのです。 メニューはボタンに登録されていて、 それを押すと金額が自動で計算されるという、 レジスターの初期のものでした。 そのため、メニューをボタンに登録するには、 メーカーの人を呼んで登録してもらう必要がありました。

 

しかし、もともと機械いじりが好きだったわたくしは、 いつのまにかメーカーの人よりも早く、 その登録作業を行える様になり、 レジのシステム自体を使いこなせる様になっていました。 そこで、ある事に気がついたのです。

 

「コンピューターに関わる事をしたい!」

 

という自分の気持ちに…

 

死んだ親父が言っていました。 「和也、これからはコンピューターの時代だ。 だからコンピューターの勉強をしろ」と… 1970年代の頃の事ですからね。 コンピューターなんていうものは、 一般には知られてもいない頃の事です。

 

「親父すげぇな!」

 

と思う、唯一といってもいいくらいの事です。 (笑)

 

そして、数年後… あるソフトハウスに転職した自分がいました。 必死に勉強しました。 それまでまったくコンピューターとは 関係のない世界にいたわけですから、 大きなビハインドを背負っているわけです。 しかし、その勉強のおかげで すぐにプログラマーとして認めてもらえる 事となります。

 

転職した会社の女性同僚の、旦那さんになる人が 会社を起こすという事で、その会社の唯一の 社員として引き抜かれる事となるのです。 そして、次々と重要な仕事を任されました。

 

・新幹線の次世代位置検知システム

 

・有名家電メーカーの研究開発の組込システム

 

・半導体製造ロボットの制御システム

 

等のプロジェクトでプログラムを担当しました。 そしてすぐにフリーのプログラマとなり、 独立を果たす事になったのです。

 

とはいえ、テレビ大好き、マンガ大好き、 そして転職をきっかけにそれまで続けていた ギターを武器にロックバンドの活動をするという 生活をしていました。 いたって普通ですよね。(笑) テレビ大好きだったので、テレビ番組表の雑誌を買い くまなくチェクし、録画する番組を決めました。

 

ビデオ3台を駆使して録画し、 いかに効率良くそれを見るか? 大げさにいえば、それが自分の人生の 満足度の尺度となっていたといった感じです。 週間のマンガ誌も、ほとんどすべてを読んでいました。 通勤時間に、少年マンガを読む大人だったのです。

 

しかし、

 

「まあ、自分の人生こんなものだろう」

 

そういう自己イメージだったのですね。 多くの方がそうであるのと同様に…

 

結婚後、あるきっかけで夫婦揃って行ったセミナーが 認知科学者苫米地英人博士のセミナーでした。 タイトルは「未来の記憶の作り方」 そこで初めて「TPIE」というセルフコーチング、 ルー・タイスというコーチの存在を知る事になります。

 

しかし、そのセミナーの料金を見て本当に驚きました。

 

「いくらなんでも、その金額はないだろう!」

 

というのが正直な気持ちでした。 しかし、コーチングというものに興味のあった妻の 意志もありあり、二人でこのセミナーを受けることに したのです。 それまでの自分からしたらほんとうにありえない 金額のセミナーと行動でした。 実際に、ルー・タイス自らがレクチャーする 「TPIE」の内容はまさに目からウロコでした。

 

生で触れるルー・タイスの情熱は、

 

「あ、これはほんものだ」

 

と単純に納得するに値するものでした。

 

これまでの人生の中で、うまくいったことが なぜうまくいったのか? うまくいかなかったことは なぜうまくいかなかったのかがすべて説明されている ように思えたのです。 そして、割と自由にさせてもらっていたと思えていた 幼少期時代を思い出すとともに、今の自分を鑑みても

 

「なんて自分に制限をかけていたんだろう??」

 

という事をとても強く思ったのです。 この理論を知らない事は、人生において多大な損をしている。 もっともっと多くの人がこの事を知る必要がある。 そしたら、もっともっと楽に、楽しい人生をみんなが送れる。 これを教えられる方に回りたい。 そう思い、「TPIE」のファシリテータートレーニングを受け ファシリテーターとして活動する事にしたのです。

 

さらに、もっと多くの人にこの知識を広められるように 単独で「TPIE」を開催できる資格である プロジェクトディレクターという資格も取得しました。 実際にプロジェクトディレクターとして「TPIE」を開催するという事、 ファシリテーターとして「TPIE」のセミナーを担当するという事は、 自分自身が何度も何度もルー・タイスのレクチャーを受ける事になります。 その中で、どんどんある気持ちが自分の中で強くなりました。

 

それは、世界を変えていく一番手っ取り早い方法が、 自分のこのスキルをおかあさんたちに利用してもらって、 これまでの風習のような子育てを変えていく事なんじゃないかという事でした。

 

最先端科学が究明した「脳と心」の働きを知れば知るほど、 いかに今の子育てが、ほんとうの幸福から遠ざかるものなのか? 同様に今の教育というものが、お題目とは反対にいかに 子供の可能性に蓋をしているのかという事を思い知らされたのです。

 

これを変えていきたい、これを変えればあらゆる問題が いい方向に方向転換できると思いました。

 

さらには、お母さんも含めたすべての人に 圧倒的なエフィカシー(自己の達成能力の自己評価)を 手に入れてもらい、世界を救うヒーローとなっていただきたい との思いがあります。 そのために「苫米地式コーチング」のコーチとして 直接苫米地博士からそのノウハウを伝授していただく事で 多くの人の人生を好転させるという機能を果たすべく活動が できるようにしました。

 

これらの思いが目覚めた時に、ある事が起こりました。 自然の状態では子供は望めないと医者に言われていた わたくしに子供ができた事です。 それはまるで、生まれてくる息子が

 

「おやじ! もうやるしかねえだろ!」

 

と言っているように思えて仕方がなかったのです。

 

しかし、息子がこの世に姿を現した時、 その象徴である産声をあげることはありませんでした。 出産に立ち会ったのですが、まさに修羅場でした。 息子は生まれたというより、引きずり出された と言った方がいい状態だったのです。

 

なにも声を出さず、グニャグニャの状態の 息子はすぐに別室へと運ばれてしまいました。 正直、わたしは、

 

「あ、これはもうダメなんだな」

 

と思いました。 自分はなんとかなるにしても、 妻になんといっていいのか?その事ばかり 考えていました。

 

出産から1時間近く経ってからようやく、

 

「まずは、お父さんから」

 

と言われ別室に呼ばれました。

 

息子は「新生児仮死」という診断でした。 つまりは、呼吸停止の状態で生まれてきたけど、 今はなんとか自分で呼吸ができる状態になっている という状況だったのです。

 

呼吸ができていなかったという事は、 脳に酸素が送られないわけで、どんな障害が残るか わからない状況だという説明をうけ、 すぐに、特殊な保育器を積んだ救急車で 大学病院に運び込まれたのです。

 

長い検査の結果、「心室中隔欠損症」と診断され、 そのほかにも、いろんな障害の可能性がある事を告げられました。

 

結局、生後2ヶ月で心臓手術が必要な状況に追い込まれました。 心臓の手術ですから、当然一旦心臓を停止させて、 人工心肺に切り替え手術後に再度心臓を動かすという、 テレビでよくみるあの過程を通らなければならないわけです。

 

手術の準備のための入院も含め、 新生児ICU、発育支援室、小児病棟等、通常では あまり見る事のない世界を見る事になりました。

 

正直、そこには目を背けたくなるような光景もありました。 というか無意識に、見てはいけない、 と直視するのがはばかられるような状況がそこには あったのです。

 

生まれたばかりの自分の息子も、その体に触れるには 保育器にあいた穴から手を入れて触ることしかできませんでした。 ましてや妻はまだ病院のベッドですから、 会うことも触れることもできない状態だったのです。

 

毎日、仕事が終わると妻の病院に行き、昼間搾乳し冷凍した母乳を 保冷バッグに詰めて、息子のいる病院まで母乳を届けると言う生活でした。 生まれたばかりでも、母に抱かれたのはほんの一瞬。 あとはずっと保育器の中の感触だけです。

 

しかし、そこには、そういう子達がたくさんいたのです。

 

そこで痛感したのは、普通に生まれてくる事、 普通に生活できる事が、無限ともいえる 奇跡の積み重ねによって作られているのだという事でした。 そういった経験の中で、なおさらお母さんたちに 最新の科学に基づいた子育てについて、 わたくしの知識や体験をお伝えする必要を 強く感じたのです。

 

「子育てが変われば世界が変わる」

 

そのための機能を果たしたいと、強く思ったのです。 そして、今の自分があります。 「TPIE」の単独開催No1の実績はいまも継続中です。

 

さらに、「TPIE」と、青少年向けプログラム「PX2」 においては、ファシリテーターを養成する ファシリテータートレーニングを マスターファシリテーターとして担当しています。

 

直接苫米地博士から直接伝授を受けた 「苫米地式コーチング」の認定コーチとして クライアント様を人生のゴールに導く お手伝いをしています。 そして、子育てを通じて圧倒的な幸福を手にいれる 方法をお伝えする「幸福論的子育て講座」として ママにこにこコーチングを展開しています。

 

おかげで、テレビは全くと言っていいほど 見なくなりました。 もちろん、マンガも一切読む事がなくなりました。 その分の時間を、子供に徹底的に関わる時間、 クライアント様の役にたつ知識を得るための時間 として使っているのです。

 

自分自身のこれだけの変革があればこそ、 自信を持って「TPIE」を勧め、 サイバー・ホメオスタシス・コーチング の存在を知っていただこうと活動しています。 この知識があれば、ほんとうに世界に変革を もたらせると考えています。 もちろん、それはわたくしが生きている間には 際立った変化は見られないかもしれません。

 

しかし、この知識を多くの人がつなぎ合っていけば どんな世界になるのかを考えるとワクワクします。 ドキドキします。 そのために、今日も一人でも多くの方にこの知識を 知っていただきたいとの思いで活動しています。

 

一人ではできません。

 

ぜひ、あなたの力を貸していただきたいと思います。

 

コーチ和也

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